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| プロフィール |
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Author:江口 繁
アーティストです。 絵を描いています。 音楽も作ります。 ギターもひきます。 島旅が好きです。 下記リンクから私の絵のサイトへ飛べます。
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| 未来への波濤’08展にて |

 計二点売却。 画像の二点です。
残り二点はまた豪州にでも。 絵画は欲していれば価格交渉することも。。 そういえばそういう交渉って日本の画廊とかギャラリーは少ないですね。
もし絵画展示で欲しい絵があったら ぜひ交渉してみては?
今回の資金は次の活動につかわせていただきます。
三重と岡山にそれぞれ作品が旅立ちます。。
今一番遠いのはオーストラリアですね。 そう考えると面白いですね。。 どこに飾られているんでしょう??
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| 出会うことば |
求めていると何かのカタチでそれは現れてくることがあります。
ここ数年考えることが抽象的で感情的なことが多くてどうしたものか、と考えあぐねていました。
そろそろまとめなきゃ‥と思うのかどうか、一冊の本に出会う。
中身も見てないのにネットで「本当のことは静かに聞こえる」というキャッチコピーと「細野晴臣」 というだけでこれは必要な本だと直感的に思え、購入して数ページを見た。
僕が年代によって、本で大きな影響を受ける人は遍歴があって(他の人にもあるか)
高校時代‥中村信夫(定かではない)「少年アート」 大学生時代‥藤原新也(著書全般) 20代半ば‥大竹伸朗(「カスバの男〜モロッコ日記」「すでにそこにあるもの」他著書全般) 20代前半中半‥池澤夏樹(「スティル・ライフ」他著書全般) 20代後半‥駒沢敏器(「地球を抱いて眠る」)
と30台の前半に今あるわけだが、文字を見ようとなかなか思えなかった。 (少し内容は異なるが、漫画家の諸星大二郎の歴史観や垣間見える価値観は20代後半から今にいたるまでかなり影響を受けています。「栞と紙魚子の百物語」買わなきゃ‥) 上記の合間合間に見ていたのが細野晴臣の著書で「地平線の階段」「観光」などサイケデリックや宗教といったコアな内容のを好んでみていた。 思えば、失敗した細野さんの人生観を追体験させてもらったように思う。
それが新しい著書では「ほんとうのことは静かに聞こえる」といっているのだ。
僕は気に入った本の箇所のページのカドを折る癖があって、売らない本には必ずそうする。
―険しい道と楽な道がありますよね。 昔はマゾヒスティックに険しい道にあこがれていた。 ところがお釈迦様は修行は意味がなかったって言ってる。 そうだろうな、何やっても厳しすぎるのはよくないっていうかね、 楽しくないとよくないなってそういう風になってきた。
―今は考えないで簡単に音楽がつくれるじゃないですか。コンピュータとかで たしかに。つくることはつくれる。 ―でもちゃんと修練しないとできない音楽というものがあるんです。 それは60年生きてきてやっとできるようになってきた。 考えることなしに、頭のなかの理想の音の世界をみんなと表現できるようになってきた。 もはや、ああだこうだ考えない世界。 自然に出てくるという。それは境地だと思っているよ。
悟りっていうのはひとつの世界ではなくてプロセスなんだと思う。 そこに向かっていくっていうプロセス自体であって、悟りっていうのは「道」なの。 その「道」を歩むか歩まないかってだけなんだよ。 宗教では、川はどこから流れても海に行くっていうような比喩がよく使われるんだ。 その海にあたるものが死の世界なのか、生の世界なのかは見方によって違うだけなんだ。
(「分福茶釜」細野晴臣・聞き手:鈴木惣一郎 より)
こう何か日常でわだかまっていたことをすんなりと言葉にしてくれて、 また新たな方向からの「道」を提示してくれていると勝手に解釈しています。
「修練しないとできない」創作があるといってくれている。 その言葉だけでもアーティストには力になる言葉だ。 あと27年後にそう思えたらいいけれど、それは目指すものではない。
続けていけばこそ、カタチになる。 最近その片鱗がみえてきたところだ。
言葉に甘んずることもないが、抽象的なことを言葉という記号で整理して考える。 「願えば叶う」という嘘っぽい青い言葉は大嫌いだが、「欲しいと思うといつのまにか目の前にあった」みたいなたなぼたな軽さはいいなと思う。金銭的な意味じゃなくてよ。。
ええと何が書きたいかわからなくなってきました。
一文だけで10個の停車駅を過ぎる時間を空想で埋められるような本に出会うことは嬉しいことだったのです。
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| 未来への波濤Vol.7のお知らせ |
名古屋でのグループ展になります。 5点ほど出品する予定です。 今回は残念ながら、在廊することができませんが、 沢山の方に見ていただけたら幸いです。。


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| アートブリスベン’08の模様 |
アートブリスベンの様子がこちらのリンクからご覧いただけます。 テレビの作品などが私のです。
http://www.mayumiinternational.com/main/bbs.html
作品を割りとつめて展示するブースというのは知っていましたが、 こういう風に見えるんですね。 ギャラリーで空間を演出する見せ方もありますが、こんな感じの沢山ある! という飾り方でお客さんと出会う形もあるんだな、と思いました。
なんか昔のサロンのたくさん壁に絵がかざってある絵を思い出しました。 実際オーストラリアのお宅ではこんなふうに沢山壁に絵を飾るお宅が多いとか。。
飾る場所を考えて描くこともあれば、 実際に飾られた作品は 僕の意図とは、僕の想像の範疇とは違う面白い飾られ方だってする。
他の作品に囲まれて、僕の絵はこれからどう育ちたいのかが見えてきます。
いずれ現地にてその現場に居合わせたいものです。。
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| ブリスベンアートフェアその後 |
ブリスベンアートフェアのブース出展者のディレクターからご報告いただきました。
小品が少し売却できました。 それにさらに発展させるためのアドバイスをディレクター&観客の方からいただき、 大変嬉しいです。
次のステップがすごく具体的に見えてきました。
6月はこれから名古屋、8月に銀座で小品グループ展がありますので、こちらも色々と試してみたいと思います。。
秋はフェアと別企画があるので一番忙しくなりそうです。
日本とオーストラリアという価値観の違う目線での意見を大変ありがたく、かつ楽しく活用させていただいています。。
そんな活動状況ですが、日常はふらふらとカメラをもって近所を散歩したりと少し怪しい職務質問されそうなおっさんです(^^
いずれ欧州にも出したいな‥ 米より欧州がいいです。 って選べないけど。。
がんばります。。
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| f分の1のゆらぎ |
「f分の1のゆらぎ」という言葉をよく耳にする。 初めて知ったのは士郎正宗の漫画「アップルシード」の中であった気がします。 まず引用下記が意味です。
―「1/fゆらぎ(エフぶんのいち-)とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ピンクノイズとも呼ばれ、あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる。具体的には人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、アルファ波、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方など。その発生機構は研究途上にある。」
心地よいとされるものにはこの「f分の1のゆらぎ」が多く含まれているらしいのだが、まだ研究は完結していない。なのではっきりと「心地よいもの」として言い切れない部分もあるらしい。
だけども、絵画の制作をしていて「これが完璧とイメージしたもの」と「自分が制作する絵」のギャップに いつも悩まされているのだけども、「完璧なイメージ」に近づければ近づけたほど何かを失っていくような感覚を得ることも多々あります。
また、いい加減に描いたようなものが「いいね」といわれたりすることにいつも不思議に思っています。これには今度はシュールレアリスムで取り上げられていた「無意識またはオートマティスム」とも関連があると思われますが、今回は省きます。
下記引用は「f分の1のゆらぎが身体によいとされる」と定義した上での言葉です。
―「—— 実際に1/fゆらぎを摂取したり、その効果を得るにはどうすればいいのでしょうか。
武者 それは簡単です。1/fゆらぎを聴いたり、見たり、体で感じたりすればいいんです。
例えば、音楽についてはすでに述べたように、聴いて1/fゆらぎの効果を得ます。また、小川のせせらぎを聴いていると落ち着くと思いますが、音楽と同じ音の構造をしているからなんです。他に木の年輪や木目の線の間隔も1/fゆらぎを持っています。そういうものを見ていると、1/fゆらぎの効果を得られます。
また、手づくりのものには自然に1/fゆらぎが入っています。しかし、少しでも機械で削ったりして精密なものに加工してしまうと、1/fゆらぎは失われてしまいます。ですから機械的に大量生産された製品、近代的なビルなどには基本的に1/fゆらぎが存在しません。
そういう意味で、人間が生活する場としては、自然の木肌や細かい凹凸を生かした、日本の伝統的な住宅はとてもよくできています。非常に理想的な1/fゆらぎを持っているといえます。
この前、彦根城を見てきたんですが、天守閣には、曲がっている松がそのまま梁に使ってある。要するに、木の性質をそのまま生かしているので、非常に1/fゆらぎが見られましたね。
—— 確かに、ヨーロッパなどによくあるきちんと左右対称に整備された公園なんかを見ると、ある意味、異様な気さえもしてきますね。」
「f分の1のゆらぎ」は音の周波だけに注目していましたが、視覚的なものでも確かにビルの整然とした感じと農村風景では得るものが違う。
制作上、「ここはこうなるはずだ」と物理的、知識としての正確さに直すたびに、何かを失う感覚や少しつまらなく感じてしまうのでどういうことなのか知りたくて調べてみました。 ただ、人間には手のとどかない自然や物理法則に任せるしかない領域があって、それを計算して予測できないといけないと思うか、出てきたものを自然のゆらぎとしてを受け入れるか分かれることだと思います。
僕の制作のスタンスとしてもできるだけ後者を選びたい。 「思い通りにいかない」というものを寛容に受け入れる余裕があるとなんでも楽しめるんだけどなあ?
ピンクノイズっていう響きも個人的には素敵だな‥と思いました。
参考HP:
http://ja.wikipedia.org/wiki/1/f%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%8E
http://www.athome-academy.jp/archive/mathematics_physics/0000000230_all.html
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