STILL LIFE
アートや音楽 思ったことを つれづれに
細野晴臣&ワールドシャイネス
ビルボードライブ1


ビルボードライブ2



六本木ミッドタウンのビルボード東京にて間近で見れる距離で細野晴臣のライブを見てきました。
初期のチャタヌガ・チューチューとか、ポンポン蒸気、はらいそ、などが生バンドでカオの表情がわかる位置でみれたことで感動。
70年代に流行ったフォークソングのカントリーとは全然違っていて、
今の時代のカントリーソングを濃密に見ることができました。
ギター、ベース、ドラム、キーボード、うた、ってシンプルな編成でやっぱり王道だなあと思います。
自身のバンド演奏の楽しさまた味わいたいなあ。

エンターテイメント性でまた感動。

MCで笑ったり。

「かわいいこがきてるね、かわいいこがいるとやる気でるね」
やっぱり、かわいいこやかっこいい人がいるとやる気でますよね。。
僕だけじゃなかったと変な共感をもってしまいました。

「最近の踊ってうたったりするのはミュージシャンじゃなくてパフォーマー。ミュージシャンってのはこういう人たち(といってバックの高田漣やコシミハルなど「「もくもくと演奏して楽しませる人」を指差す)」
僕も演奏はしますがライブでは、話さなければいけないとか、特別なパフォーマンスをしなければいけないと思い込んでいましたが、音楽を演奏するからミュージシャンなんですよね。。
それなら僕もできる‥とまた変な自信をもってしまいました(笑

「男はね、余計などうでもいいことを覚えたがるの。でも女性はそれを見て「それつまらない」ですから」
男性は夢の世界に逃げたがるのか現実の世界を生きるのがとてもヘタだと思う。
だから多くの男性が女性の現実観という窓によりそって生きている気がします。
ほんと僕も余計なことばっかり覚えて生きるのが下手くそだなあと思います。
いい人ができたらソレも変わるのか、やっぱり自分で変えられるのか、まだ全然わかりません。




「昔は事件があるとすぐそれをトピックにして演奏してた。けれど最近の事件は音楽にとてもしずらいことが多い。音楽を作りにくい時代になった」
最近の事件はほんと殺伐としていて、その量がとても多いと思います。
70年代の遠藤賢司の「カレーライス」という曲ではハラキリ自殺した文筆家のことが歌詞で出てきたりしてました。
社会の速度もものすごく速く感じられて、ひとつのことを考えて作品や表現をしていくのがほんと難しい。
そうなるといろんな物事をくくって包容できるのは「愛」なのかな?って思います。

短いライブ演奏の間に沢山の大切な言葉があふれていたように思えました。

ラストの曲でステージ裏のカーテンが開き、六本木の夜景が飛び込んできたときにはなんて素敵なんだろうって感動しました。

演奏者もムリをしないで演奏して楽しんでいるとぼくらにも伝わってきます。
絵でもそれは同じだな、と勉強になりました。


ビルボードライブ3


夜景。。

ビルボードライブ4

おまけ。スクガラスとトウフです(笑


制作日誌
彼女たちの風景声・部分WEB


やや写真の画像が甘くなってしまいました。
何度か水彩で描いた人物を油彩で描いています。
部分なので「引いて」見るとまた違った作品になっています。

これは豪州へ出す作品なので日本でじかに見せる機会がないかもしれません。

HPにはいずれアップしますが‥。

できることなら日本で個展がしたい。
けれどよいマーケットやシェアがないので遠ざかってしまいがちです。

最近、よいテーマが見つかりました。
個展はいつやるかはわかりませんが、方向は見えてきました。

東京で是非がっつりとみなさんに見てもらいたい、とは思っていますので乞うご期待。

遅筆なのを呪います(笑

4月中は少しペースアップで臨みます。
僕のメッセージが作品にこめられますように。。
ABOUT欄追加
作者の言葉ってのを考えて、バイオグラフィーのところに
ABOUTとしてのっけました。

たえず考え方は移行しているんですが、こうしてる今もまた別の言葉で文章にすればよかったなあと言葉にしていくときりがありませんね。

ただ今回のように真剣に考えて、ひとつまとまった意志を示すというのは
今後どう考えて生きていくかということの物差しになるな、と思います。

制作時に、テーマ、タイトルになるような言葉と映像はいつもバラバラに自分の引き出しにしまってあります。
普段気にしている「詩的」なことばとそれに合う映像を待って、またはその逆で、それが合致したときに制作をしています。

シンガーソングライターが詩から書くか、曲から作るか、にたとえるなら両方。

本や歌から好きな言葉を、写真や映画から好きな画像をそれぞれためこんでいます。

最近は一眼カメラ購入の影響で写真的な光のとらえ方、レンズ的なものの見え方、に影響を受けて絵画の可能性やより確実に内容を伝えることができるか?探っています。

なんにせよ、なかなか自分だけでは自分は見えてこない。
ので今まで沢山の人の言葉を頂いた上でABOUTをアップさせていただきました。

またこれから志向は変わるとは思いますが御一読のほどを、またそれについて意見を聞かせていただけると大変嬉しく思います。。
戯れ言
たとえば、川俣正とか宮島達男とかリ・ユーファンとか、新聞の現代美術の記事でよく眼にします。

インスタレーションなどもだいぶ表現スタイルとして認知もされてきました。

でもなんだか芸術が見た目の抽象表現やコンセプチュアル・アートにどっぷりと浸かってからすごい遠くのものになってしまったような気がして憂います。

僕が簡単な手法で表現したものを「コンテンポラリーでない」というギャラリストがいたり、抽象画を未だにコンテンポラリーだといったり、もうそんな区分けとか価値観自体がとてもナンセンスなような気がします。

だいぶ前に「新たなる統合へ」というような新しい枠組みをテーマとした国際展示が横浜でされたと思うのですが、それも結果は「新たなる統合」が啓蒙できたのかどうか疑わしいことです。

表現スタイルが具体的なモチーフであれ、抽象的であれ、そこにこめられたものはなんだかんだ抽象的なもので、未だにスタイルで区分けしてるのには辟易してしまいます。

マルセル・デュシャンの時代からヨゼフ・ボイスをへて現代にいたるまで、芸術とか美術とかは哲学とか価値観の啓蒙や芸術家のための実験作業になってしまって退屈に思えることが多いです。

秋葉原のネオンやショーウィンドウや店内の内装などを見ているほうが楽しくていろんな雰囲気を感じるのは変な考えでしょうか?

結局僕の好み自体がエンターテイメントであって、ハプニング的な出来事よりも練られたコントのような「芸」が好きなんです。芸術って「芸」がなくなってしまったような気がしてなりません。

教室で絵画を教えていると「モンドリアンのような絵画を描きたいんです」とかいう話はほとんど聞かず、ルネサンス期から印象派の表現に共感する方が非常に多い。

いろんな価値観とか正解があっていいんだけど、このギャップとかっていったいなんだろうといつも答えが出ずにその場しのぎで過ごすことが多いです。

社会自体が迷走している現代が結局、芸術にあらわれてしまっているのかな、と浅い知識と経験で考えてしまっています。


sakura.jpg


先日伊勢にいってまいりました。
最近になってようやく一眼デジカメを買ったのでどこへいってもウキウキです。
桜の写真撮る方が多い中、私も同じくして撮影。
綺麗にとれると嬉しいですね。。

鳥羽水族館


法事での三重訪問でしたが、お目当ては鳥羽水族館。
なんでもタコの足が80何本もある標本があるとか。

でも結局みれませんでした。。
けれども、写真のいい練習になりました。
水の中の風景ってやっぱり綺麗だなあと思いました。
以前からイメージしていた絵のアイデアも水がキーワードなのでよい取材にもなりました。
とりあえず100枚ちょっと撮ってきました。
いつ作品になるかな?
あたため中です。。