STILL LIFE
アートや音楽 思ったことを つれづれに
雑誌発売しました。。
「野菜を水彩画で描く」という企画に参加させていただきました。
野菜専門誌「ベジータ」(えい出版社)より9月5日に発売です。

ベジータ


ご購入は下記を参照くださいませ。


http://chaboon.jp/book/









あじ
なんだかんだ、9月10月用の作品制作作業が遅れています。
いけない。

エスキース作業だけは進んでいるので、仕上げたら次にはスムースにいけます。

で、制作して思ったのですが、大きいサイズの絵を描いていると、ムラやシミができる。以前はコレがちょっとでも見えると消したくなったたちですが、今日描いていたら、これもいいな、と。
筆のタッチや刷毛跡とかも画面に大きく変な影響なければおもしろい。
マチェールもそうですね。。絵の具の重なりが物質的にある。
生で描いてみせるっていうのはこういうところがおもしろいな、とあらためて。
塗り込めば塗りこんだだけ、何かこう、重厚に画面が前に出てくる。

意図とは違うはみ出した部分ってのは大切。

小さい絵だけでは気づかなかったことが、個展の絵を前にしていい意味で気づくことができました。

微妙なことですけど、描いているタッチにまた変化が見られるかもしれません。。
なんだかいい武器を手にした気分です。。

描くのは決して楽ではないですが、自由になっていく自分がわかる気がしているかもしれません。
影響
今後の制作の実験作として描いてみました。
後で見るとやや動きに改善点が見られます。
けれども長いことかかってここまでたどりついた感じです。
タイトルは「引力」。しがらみを取り払いたい気持ちだったと思います。制作時には(笑
これは名古屋展に出品しましたが、反応は得られず‥残念。
深い意味というか「楽しい」「嬉しい」を制作していて感じました。

その言葉は下記の細野晴臣著の「アンビエント・ドライヴァー」の中にありました。
またその言葉を音楽としてカタチにしたものが、コンピレーション・アルバム「daisy holiday」。

ひまわりweb


ほその

ほその2


整理された作品にも、混沌とした無秩序にも人の心は動かない、その間にある意外性に人は心惹かれる‥との言葉に美術でいう「オートマティスム(無意識)」的な、秩序のある意外性に興奮して読んでいました。

例えばプレゼント。
中に何かは入っていて、ソレを選んだ人の好みは知っているけれど、しっかり何が入っているのかわからない。
あけてびっくり。
でも、自分の流れの中にマッチするものだったり。

それを考えながら、今制作中の作品に意外性はあるのか?
と疑問に思いました。
今の僕が提示する意外性。
もっとも考えて整理してしまったらその時点で意外ではなくなってしまう恐れもあります。

意外性はひょんなとこからやってきて、例えば、音楽シーケンスソフトでドラムの楽譜をいじっていたときに、そのMIDI情報が別のシンセソフトで鳴ってしまったときの音楽はなんとも不思議でした。
細野さんの著書でももっと高度なそういった経験があると書いてあったので、同じだ、と思いました。
ドラムパターンとして打ち込んだはずが、音色をもって別のミニマルミュージックになっているのは面白かった。

また意外性という抽象をとらえるのは難しい。
江戸研究家・故杉浦日向子氏の「百日紅」という北斎の漫画の中で娘のお栄が龍を描くシーンが印象的です。それは歌川国直がアドバイスをするシーン。

「頭で練っても、筆でおしこめようとしても萎えてしまう、コウ、じっと龍が降りてくるのを待つんでさ‥」
お栄はその言葉とおりに一晩龍が降りてくるのを待ち、明け方には迫力のある龍を絵に封じ込めることに成功する。

夜半に制作して「よしッ」と思えるのはこの感覚なんです。


話を元に戻すと以前得た情報と新たな本の情報がつながっていて進化しています。
何かで得たあるひとつの情報である程度の期間生活しますが、どこかで矛盾を感じる。
その価値観の根本は変わらないけれど、違う角度の見方が必要になってきます。
ちょうど今はそういう転換期というか、新規に何かをし始めている時期なんです。

関係ないですが、本を読んでいる場所は夜の静かなカフェとかファミレスとか、生活感のできるだけないところが好きです。本の中身だけが目立つような‥。
旅をしているときにも、船のラウンジだとか、ベンチだとか、旅で好きな時間ってそういう一人で充足しているときだったりしたことをおもいだしました。

また、旅に出たいと思い始めています。


未来への波濤’08展にて
radical happinessWEB


Violent InnocenceWEB2
計二点売却。
画像の二点です。

残り二点はまた豪州にでも。
絵画は欲していれば価格交渉することも。。
そういえばそういう交渉って日本の画廊とかギャラリーは少ないですね。

もし絵画展示で欲しい絵があったら
ぜひ交渉してみては?


今回の資金は次の活動につかわせていただきます。


三重と岡山にそれぞれ作品が旅立ちます。。

今一番遠いのはオーストラリアですね。
そう考えると面白いですね。。
どこに飾られているんでしょう??

出会うことば
求めていると何かのカタチでそれは現れてくることがあります。

ここ数年考えることが抽象的で感情的なことが多くてどうしたものか、と考えあぐねていました。

そろそろまとめなきゃ‥と思うのかどうか、一冊の本に出会う。

中身も見てないのにネットで「本当のことは静かに聞こえる」というキャッチコピーと「細野晴臣」
というだけでこれは必要な本だと直感的に思え、購入して数ページを見た。

僕が年代によって、本で大きな影響を受ける人は遍歴があって(他の人にもあるか)

高校時代‥中村信夫(定かではない)「少年アート」
大学生時代‥藤原新也(著書全般)
20代半ば‥大竹伸朗(「カスバの男〜モロッコ日記」「すでにそこにあるもの」他著書全般)
20代前半中半‥池澤夏樹(「スティル・ライフ」他著書全般)
20代後半‥駒沢敏器(「地球を抱いて眠る」)

と30台の前半に今あるわけだが、文字を見ようとなかなか思えなかった。
(少し内容は異なるが、漫画家の諸星大二郎の歴史観や垣間見える価値観は20代後半から今にいたるまでかなり影響を受けています。「栞と紙魚子の百物語」買わなきゃ‥)
上記の合間合間に見ていたのが細野晴臣の著書で「地平線の階段」「観光」などサイケデリックや宗教といったコアな内容のを好んでみていた。
思えば、失敗した細野さんの人生観を追体験させてもらったように思う。

それが新しい著書では「ほんとうのことは静かに聞こえる」といっているのだ。

僕は気に入った本の箇所のページのカドを折る癖があって、売らない本には必ずそうする。


―険しい道と楽な道がありますよね。
昔はマゾヒスティックに険しい道にあこがれていた。
ところがお釈迦様は修行は意味がなかったって言ってる。
そうだろうな、何やっても厳しすぎるのはよくないっていうかね、
楽しくないとよくないなってそういう風になってきた。

―今は考えないで簡単に音楽がつくれるじゃないですか。コンピュータとかで
たしかに。つくることはつくれる。
―でもちゃんと修練しないとできない音楽というものがあるんです。
それは60年生きてきてやっとできるようになってきた。
考えることなしに、頭のなかの理想の音の世界をみんなと表現できるようになってきた。
もはや、ああだこうだ考えない世界。
自然に出てくるという。それは境地だと思っているよ。


悟りっていうのはひとつの世界ではなくてプロセスなんだと思う。
そこに向かっていくっていうプロセス自体であって、悟りっていうのは「道」なの。
その「道」を歩むか歩まないかってだけなんだよ。
宗教では、川はどこから流れても海に行くっていうような比喩がよく使われるんだ。
その海にあたるものが死の世界なのか、生の世界なのかは見方によって違うだけなんだ。

(「分福茶釜」細野晴臣・聞き手:鈴木惣一郎 より)

こう何か日常でわだかまっていたことをすんなりと言葉にしてくれて、
また新たな方向からの「道」を提示してくれていると勝手に解釈しています。

「修練しないとできない」創作があるといってくれている。
その言葉だけでもアーティストには力になる言葉だ。
あと27年後にそう思えたらいいけれど、それは目指すものではない。

続けていけばこそ、カタチになる。
最近その片鱗がみえてきたところだ。

言葉に甘んずることもないが、抽象的なことを言葉という記号で整理して考える。
「願えば叶う」という嘘っぽい青い言葉は大嫌いだが、「欲しいと思うといつのまにか目の前にあった」みたいなたなぼたな軽さはいいなと思う。金銭的な意味じゃなくてよ。。

ええと何が書きたいかわからなくなってきました。

一文だけで10個の停車駅を過ぎる時間を空想で埋められるような本に出会うことは嬉しいことだったのです。